五感を通して気づく世界への感謝と思いやりの心 絵本と保育でのアプローチ
はじめに
幼児期において、子供たちは五感(視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚)を通して世界を認識し、学びを深めていきます。身の回りのあらゆる情報は、この五感を通して脳に届けられ、理解や感情の基盤を形成します。この感覚的な探求の過程は、単に知識を習得するだけでなく、豊かな感性や、他者、そして世界全体への感謝と思いやりの心を育む上でも重要な役割を果たします。
五感を通した体験は、子供たちが自分を取り巻く環境や、そこに存在する様々なもの、そして人々の営みに対して、具体的な気づきや感動を得る機会を提供します。例えば、土の匂いを嗅ぎ、虫の音を聴き、花の色を見ることから、自然の営みや恵みへの感謝が芽生えることがあります。また、料理の匂いを嗅ぎ、味わう経験は、食べ物そのものや、それを作ってくれた人への感謝へと繋がるでしょう。
この記事では、五感を通した体験がどのように子供たちの感謝や思いやりの心を育むのか、そして、その育ちを支援するために保育現場や家庭で活用できる絵本や具体的な活動についてご紹介します。
五感が育む感謝の心
五感は、子供たちが身の回りの世界の豊かさや恵みに気づくための入り口です。それぞれの感覚を通して得られる体験は、感謝の気持ちの基盤となります。
- 視覚: 色とりどりの花、流れる水のきらめき、空のグラデーション。目で見て美しいと感じる経験は、自然の造形や変化への畏敬の念や感謝に繋がります。また、建物や道具など、人が作り出したものを見ることで、それらが多くの人々の努力によって成り立っていることに気づく機会も生まれます。絵本の中の絵をじっくり見ることも、想像力を広げ、描いた人や物語への感謝を育むことでしょう。
- 聴覚: 鳥のさえずり、雨の音、風の音、話し声、笑い声。様々な音に耳を澄ませることは、世界の多様性や生命の息吹を感じることに繋がります。心地よい音は安心感を与え、不快な音からの学びもあります。人の声や言葉を聴くことはコミュニケーションの基本であり、優しい言葉をかけてもらった経験は、その人への感謝の気持ちを育みます。
- 触覚: 土の感触、木の幹のざらつき、水の冷たさ、毛布の柔らかさ。触れることによって、物の質感や温度、形を直接感じ取ります。これは、物の特性を知るだけでなく、自分が様々なものに支えられて存在していることへの気づきに繋がります。大切に使われている物や、長い時間をかけて自然が作り出した物への触れ合いは、感謝の気持ちを深めます。
- 嗅覚: 花の香り、焚き火の匂い、焼きたてのパンの匂い、土の匂い。匂いは記憶や感情と強く結びついています。心地よい匂いは喜びや安らぎを感じさせ、危険な匂いは身を守ることにも繋がります。季節の移り変わりを知らせる匂いや、特定の場所や出来事を思い出す匂いは、自分を取り巻く環境や経験への感謝の気持ちを呼び起こすことがあります。
- 味覚: 甘い、酸っぱい、苦い、しょっぱい、そしてうま味。様々な味を体験することは、食べ物の多様性や豊かさを知ることに繋がります。美味しいと感じる経験は、食べ物そのものや、それを提供してくれる人への感謝を育む最も直接的な感覚の一つです。食育と結びつけ、「いただきます」「ごちそうさま」の意味を深く理解する基盤となります。
これらの五感を通した経験は、子供たちが「あたりまえ」と思っている日常の中に、多くの恵みや支えがあることに気づかせてくれます。この「気づき」こそが、感謝の心の出発点と言えるでしょう。
五感が育む思いやりの心
五感は、自分自身の感じ方を知るだけでなく、他者の感じ方を知り、理解するための手がかりも提供します。この他者理解の過程は、思いやりの心を育む上で不可欠です。
- 感じ方の多様性への気づき: 同じものを見ても、同じ音を聞いても、同じものを味わっても、人によって感じ方は異なります。五感を通して得た自分の感覚を言葉にしたり、絵や動きで表現したりする経験は、自己理解を深めます。同時に、友達や家族の感じ方を聞くことで、「自分とは違う感じ方をする人がいる」という多様性への気づきが生まれます。この違いを知り、受け入れることが、他者への理解や思いやりの基盤となります。
- 共感性の育み: 例えば、友達が美味しそうに食べている姿を見て自分も嬉しくなったり、苦手な音に顔をしかめている友達を見て心配になったりする経験は、他者の感覚を通してその感情を推測し、共感する力に繋がります。五感で感じたことを共有する活動は、互いの感情や状態を理解し合う機会を増やし、共感性の発達を促します。
- 環境への配慮と思いやりの行動: 五感を通して自然や生き物の変化に気づくことは、それらを大切にしたいという気持ちに繋がります。例えば、触ると痛い植物を知ることは、その植物への配慮や、他の人が触らないように知らせる行動に繋がるかもしれません。また、賑やかな場所が苦手な友達がいることに気づけば、静かな場所を提案するなど、他者の感覚的なニーズへの思いやりが生まれることもあります。
五感を通した自己理解と他者理解、そして環境への気づきは、子供たちが自分以外の存在に対して心を開き、配慮や協力といった思いやりの行動へと繋がる重要なステップとなります。
五感を育む絵本と保育での実践
五感をテーマにした絵本や、五感を積極的に活用する保育活動は、子供たちの感謝と思いやりの心を育む上で非常に効果的です。
五感をテーマにした絵本の活用
五感をテーマにした絵本は、子供たちが自分の感覚に意識を向け、言葉にする手助けをします。
- 五感全般を扱った絵本: 「ごちそうのおうさま」(かがくいひろし作、文溪堂)のように、食卓の様々なものに五感で気づくお話や、「五感」(さとうあきこ文、おおたぐろまり絵、福音館書店)のように、それぞれの感覚について分かりやすく解説した絵本は、五感の存在そのものに気づかせ、関心を高めます。
- 特定の感覚に焦点を当てた絵本: 「だるまちゃんとてんぐちゃん」(加古里子作、福音館書店)のだるまちゃんが作る団子を見て美味しそうと感じたり、「ぐりとぐら」(なかがわりえこ文、おおむらゆりこ絵、福音館書店)のカステラの香りが漂ってくるように感じたり、絵本を通して特定の感覚を刺激される作品は数多くあります。「いろいろバス」(tupera tupera作、大日本図書)のように色や形(視覚)に焦点を当てたもの、「なまえのないねこ」(竹下文子作、町田尚子絵、小学館)のように音や風景(聴覚・視覚)が豊かに描かれたものなど、作品選びが重要です。
- 自然や食べ物を描いた絵本: 自然の描写が美しい絵本や、食べ物が美味しそうに描かれた絵本は、五感を通して自然の恵みや食の喜びへの感謝を育みます。
絵本を読む際には、単にストーリーを追うだけでなく、「どんな音が聞こえるかな?」「どんな匂いがするかな?」「触ったらどんな感じかな?」など、五感に関する問いかけをすることで、子供たちの気づきを促すことができます。
五感を育む具体的な保育活動例
保育現場では、日々の活動の中に五感を刺激する要素を意識的に取り入れることができます。
- 見る: 季節の移り変わりを感じる散歩で、花や木の色、空の様子などを観察する。様々な素材(布、紙、自然物など)の色や形を比較する遊び。光と影の遊び。
- 聞く: 自然の中での音探し(鳥の声、虫の声、葉の擦れる音)。様々な楽器や生活音を聴き分けるクイズ。手作りの音が出るおもちゃ作り。静かに耳を澄ませて音を感じる時間を持つ。
- 触る: 粘土、砂、水、片栗粉、新聞紙など様々な素材の感触を楽しむ遊び。公園や園庭で土や木、葉っぱ、石など自然物に触れる。感触遊びを通して、物の固さ、柔らかさ、冷たさ、温かさなどを言葉にする。
- 嗅ぐ: ハーブ、果物、野菜など、身近な物の匂いを嗅ぎ比べる。雨上がりの土の匂いや、落ち葉の匂いなど、季節の匂いを感じる。安全な範囲で様々な匂いに触れる機会を作る。
- 味わう: クッキング保育で、食材の色、形、匂いを観察し、調理の過程を体験する。簡単な調理に参加することで、食べ物への関心や感謝を高める。安全に配慮した上で、食材の味を比較したり、食感を楽しんだりする。
これらの活動は、子供たちの五感を研ぎ澄ますだけでなく、五感を通して感じたことを友達と共有し、互いの感じ方の違いを知り、受け入れる経験を提供します。活動後には、「どんな音が聞こえたかな?」「何が一番面白かった?」「〇〇ちゃんは△△って言ってたね、どうしてかな?」など、感じたことや考えたことを話し合う時間を設けることで、他者理解や共感性の育みに繋がります。
保護者連携の視点
五感を通した体験は、家庭でも簡単に実践できます。保育で実践したことや絵本の内容を保護者と共有し、家庭での取り組みを提案することは、子供の感謝と思いやりの心の育みをサポートする上で有効です。
- 家庭での実践例の紹介: 散歩中に子供と一緒に五感で感じたことを話す(「風の音聞こえるね」「葉っぱがきれいな色だね」)。料理を一緒に作り、食材に触れたり匂いを嗅いだり、味の変化を体験する。家庭菜園で野菜を育て、成長や収穫の喜びを五感で感じる。これらの活動を通して、子供が気づいたことや感じたことを言葉にするよう促すことの重要性を伝えます。
- 絵本の共有: 園で読んだ五感に関する絵本を家庭に紹介し、親子で一緒に読むことを勧めます。絵本をきっかけに、家庭でも五感や感謝について話し合う時間を持つことを提案します。
- 子供の言葉に耳を傾ける: 子供が五感を通して感じたことを言葉にしたとき、「すごいね」「よく気づいたね」など、肯定的な言葉で応答することの大切さを伝えます。「これはどんな匂い?」「どんな音がする?」など、保護者から五感に関する問いかけをすることも、子供の感覚への意識を高める助けになることを伝えます。
家庭と園が連携し、子供たちが日常の中で五感を通して世界を豊かに感じ取る経験を重ねることは、感謝や思いやりの心を育むための揺るぎない土台を築くことに繋がります。
まとめ
五感を通した体験は、子供たちが自分を取り巻く世界の多様性、豊かさ、そして恵みに気づき、感謝の心を育むための重要なプロセスです。また、他者の感じ方の違いを知り、共感する経験は、思いやりの心を育む上で欠かせません。
五感を刺激する絵本や、五感を積極的に活用する保育活動は、子供たちの感覚的な探求を深め、そこから生まれる気づきや感動を感謝や思いやりといった内面的な成長へと繋げるための有効な手段となります。日々の保育や家庭での関わりの中で、子供たちが五感を通して世界を全身で感じ取る経験を大切にすることで、豊かな感性と、感謝と思いやりの心を自然に育むことができるでしょう。このような体験の積み重ねが、子供たちの健やかな心の成長を育む基盤となります。