絵本と保育で育む 見えない「ありがとう」に気づく心
日常を支える見えない力に気づくことの教育的意義
私たちの日常生活は、多くの人々の見えない努力や、当たり前のように存在する仕組みによって支えられています。食べ物が食卓に並ぶまで、着ている洋服ができるまで、快適に過ごせる建物が建つまで、そして毎日使う電気や水道といったインフラに至るまで、その背景には様々な人の仕事や工夫、そして自然の恵みがあります。幼児期において、こうした日常の「見えない支え」に目を向け、その存在に気づくことは、自己中心的な視点から離れ、他者への想像力や感謝の心を育む上で極めて重要であると考えられます。
子供たちは、目の前にあるものや直接的な関わりから多くを学びます。しかし、成長の過程で、自分を取り巻く世界がどれほど多くの要素によって成り立っているのか、その複雑さと相互依存関係を少しずつ理解していく必要があります。見えない努力や貢献に気づく経験は、身近な人への感謝だけでなく、より広い世界への関心や、社会の一員としての自覚の芽生えにも繋がる可能性があります。これは、感謝と思いやりの心を育むための豊かな土壌となります。
見えない支えへの感謝を育む絵本の役割
「見えない支え」という抽象的な概念を、子供たちが理解しやすい具体的なイメージとして提示するために、絵本は非常に効果的な媒体です。物語や絵を通して、食べ物がどのように作られ、運ばれてくるのか、建物はどのように建てられるのか、私たちの知らないところで働く人々がいることなどを、子供たちの興味を引きつけながら伝えることができます。
このテーマに関連する絵本としては、以下のような作品が考えられます。
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『いろいろごはん』山岡ひかる (福音館書店) 食べ物が、畑で育ち、海で獲られ、工場で加工され、お店に並び、食卓に届くまでの一連のプロセスを、簡潔で分かりやすい絵で描いています。この絵本を通して、自分たちが食べているものが、自然の恵みだけでなく、多くの人々の手によって届けられていることに気づくきっかけとなります。食への感謝の気持ちを育むとともに、見えない仕事への想像力を養います。
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『ぼく、お月様とはなしたよ』フランシス・アウダースラニー 文 / エヴァ・リャフ 絵 (福音館書店) 夜中に目を覚ました男の子が、お月様と話す中で、夜中も働いている人々の存在に気づく物語です。パン屋さん、清掃員、トラックの運転手など、眠っている間に私たちの生活を支えている人々の姿を描くことで、「見えない時間」に働く人々への感謝や敬意の気持ちを育みます。
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働く人々を描いた絵本 特定の職業(パン屋さん、お医者さん、運転手さんなど)を描いた絵本は数多くありますが、これらの絵本を読む際に、その仕事が私たちの生活をどのように支えているのか、その仕事をする人がどのような努力をしているのかといった視点を取り入れることで、「見えない支え」への意識を高めることができます。例えば、『パンのはなし』(平野恵理子 文・絵 / 福音館書店)のようなパンができるまでの工程を描いた絵本は、一つの物が完成するまでに多くの手間と時間がかかっていることを具体的に示します。
これらの絵本は、子供たちの身近な生活と、それを支える広い世界を結びつけ、「当たり前」の背後にある物語を伝える役割を果たします。絵本を読み聞かせる際には、ただ物語を追うだけでなく、「これは誰が作ったのかな?」「どうやってここまで来たのかな?」といった問いかけを織り交ぜることが、子供たちの気づきを深める上で有効です。
保育現場での具体的な実践
絵本での気づきを日々の保育活動に繋げ、子供たちが体験を通して「見えない支え」やそれへの感謝を理解できるよう促すことが重要です。
- 読み聞かせ後の対話: 絵本の内容について、子供たちの言葉で自由に語ってもらう時間を持つことは非常に価値があります。「この絵本に出てきた人たちは、どんなお仕事をしているのかな?」「私たちの幼稚園の給食も、誰かが作ってくれているのかな?」「お部屋をいつもきれいにしているのは誰だろう?」など、身近な「見えない支え」に目を向ける問いかけをすることで、絵本と現実世界を結びつけます。
- 園内の「支え」に気づく活動: 園で働く人々(給食員さん、清掃員さん、事務員さん、用務員さんなど)の仕事について話し合ったり、感謝の手紙や絵をプレゼントする活動を取り入れたりすることで、身近な見えない支えへの具体的な感謝の表現を促します。
- 当番活動や係活動: 自分たちが園の生活の一部を支える経験(給食の準備、掃除、生き物の世話、植物への水やりなど)は、役割を担うことの意義や、誰かの役に立つ喜びを学びます。これは、他者の役割や努力への理解と感謝の基礎となります。
- 遊びの中での意識付け: ごっこ遊び(お店屋さん、病院、大工さんなど)の中で、特定の役割だけでなく、その役割を支える様々な仕事があることに目を向ける声かけをすることで、視野の広がりを促します。
- 季節の恵みや自然への感謝: 季節の移り変わりや自然の営み(野菜が育つ、花が咲くなど)も、私たちの生活を支える「見えない支え」の一つと捉え、自然への感謝の気持ちを育む活動(植物の栽培、収穫体験など)を行うことも有効です。
これらの活動は、特定の年齢や発達段階に合わせて内容を調整することが可能です。年長クラスであれば、より複雑な社会の仕組みについて絵本を通して学んだり、自分たちの力で何かを完成させる過程で、その過程に関わる人々の努力に思いを馳せたりする経験ができます。年少クラスであれば、身近な人(家族、先生、友達)への感謝から始め、少しずつ視野を広げていくアプローチが考えられます。
保護者との連携と家庭での実践への示唆
保護者との連携は、子供たちの心の成長を家庭と園の両面からサポートするために不可欠です。園で紹介した絵本やテーマについて保護者に伝え、家庭での実践を促すことは、子供たちの学びをより深めます。
- 絵本の紹介: 園で読んだ「見えない支え」に関する絵本を保護者に紹介し、家庭での読み聞かせを推奨します。絵本を通して、日常の当たり前について親子で話し合う機会を持つことの重要性を伝えます。
- 家庭での声かけのヒント: 食事の際に「この野菜は〇〇さんが育ててくれたんだよ」「お弁当箱、きれいに洗ってくれてありがとう」など、日常のささやかなことの中に隠れた努力や貢献に気づく声かけを提案します。
- 家事や手伝いを通じた学び: 子供が家庭で手伝いをする際に、その行動が家族の生活をどのように支えているのかを具体的に伝えることで、自分の役割や貢献への理解を深めます。「お皿を拭いてくれると、お母さんが助かるよ、ありがとう」といった具体的な言葉がけが有効です。
- 感謝の気持ちを表現する姿を示す: 保護者自身が、配達員やお店の人など、日常で関わる様々な人々に対して感謝の言葉や態度を示すことは、子供にとって最も良い学びとなります。
家庭でのこうした取り組みは、子供たちが絵本や保育活動で学んだ「見えない支え」への意識を、自分自身の生活の中で具体的に結びつける手助けとなります。
まとめ
日々の生活の中に存在する「見えない支え」に気づくことは、子供たちの感謝と思いやりの心を育む上で、非常に重要な一歩です。絵本は、この抽象的な概念を子供たちの心に響く形で届ける有効なツールであり、保育現場での多様な活動と組み合わせることで、学びを体験へと繋げることができます。
身近なものやサービスの背後にある多くの人々の努力や、自然の恵みに思いを馳せる経験は、子供たちの視野を広げ、他者への敬意と感謝の念を深めます。このような経験は、将来、社会の一員として互いに支え合いながら生きていくための大切な基礎となるでしょう。絵本と保育の実践を通して、子供たちの心に感謝の種を丁寧に蒔いていくことの意義は大きいと言えます。